小豆がゆの伝説




 小豆をアズキと呼ぶのは、貝原益軒によれば、アは赤色のこと、ツキ、ズキは溶けるという意味で、要するに赤くてほかの豆よりも早く柔らかくなることからついた名前だそうです。
 小豆といえば、大豆とともに中国から渡ってきたものですが、早くも古事記の神話時代には食卓に登場していたようです。アマテラスによってひげを切られ手足の爪を抜かれ、高天原を追放されたスサノオは、空腹のあまりオオゲツヒメに食べ物をねだります。するとヒメは鼻や口、おしりからおいしい食べ物を取り出してもてなします。しかしそれを見たスサノオは「なんときたないことをするやつだ」と怒り、ヒメを殺してしまいます。すると、ヒメの死体の頭から蚕が、2つの目に稲が、2つの耳に粟が、陰部に麦が、鼻に小豆が、尻に大豆が生えたと記されています。そのころから、小豆がわが国でも食べられていたことがこの神話から想像できます。
 小豆は単なる食べ物である以上に、その赤い色に神秘的な力があると考えられていたようで、呪術的な意味をもっています。中国の古代人の生活と風習を伝える「斉民要術」という本には、14粒の小豆に家人の頭髪を少し添えて井戸の中に入れておくと五方の疫鬼をさけることができると書かれているそうです。また、月の1日と15日、特に正月の1日と15日に小豆を14粒井戸の中に入れておくと疫病にかからないとも言うそうです。
 1月15日の小豆がゆには、いろいろな伝説が残されています。昔、中国の黄旁という人が、この日に炊く小豆がゆの焚き残りの木でもって、からだは蛇霊、魂は天狗というおそろしい魔物を退治したそうで、それ以来、小豆がゆを炊いて、天狗を祭って、東に向いて再拝しこれを食すると疫病にかからないというそうです。また、枕草子には「十五日にもちかゆのせくまいる かゆの木ひきかくして 家のこたち女房などのうかがうを うたれじとよういして つねにうしろを心づかいしたるけしきもおかしき」と記されています。15日のかゆの煮た木をけずって、子をもたない女房の背中を打つと男の子が生まれるという古習によるものと解説されています。また、枚岡神社には御粥占神事(菅粥祭ともいわれます)が伝えられていて、これは、15日の朝、小豆がゆを煮てこのかゆの上に寸竹菅をかけ、竹の筒の中に穀の名を書いて入れ、ここに入ったかゆの多少によって豊凶を占うというものだそうです。
 小豆がゆを冬至に食べる習慣も、むかしからあったようです。ある村の有力者のわがまま息子が隣家の美しい娘に恋をし、その娘が人妻となってからも忘れられずに、とうとう冬至の日に婚家から実家に帰ってくるところを襲いましたが、通りかがった村人に妨げられて思いを遂げることができませんでした。そこで男は自殺して悪霊になって女に祟ろうとします。賢い女はその男が小豆をひどく嫌っていたことを思い出し、小豆がゆを作りこれを神に捧げて霊を追い払ったということです。
 小豆にちなむ伝説をいろいろ紹介しましたが、現代でも私たちは小豆は特別な日の食べ物と感じています。この感覚は古代からの人々の想いが受け継がれたものなのですね。なお、この「こぼれ話」には、相馬 暁著「豆、おもしろ雑学事典」(チクマ秀版社)を参考にしました。詳しく知りたい方は同書をご覧下さい。